服織神社の歴史について

社伝に、第二十一代雄略天皇の朝(四五七~九〇)養蚕機織守護神として、天機姫命を勧請奉祀して服織天神を奉斎したとされています。

平安時代に記された「三河国内神名帳」には、
「服部天神 坐宝飯郡」という記載があることから、平安時代までさかのぼることができます。
古くは南方の田の中のハトリという地名の所にあったと言われ、
その後現在の古宮の位置、現在位置に移りました。

棟札も鳥羽大明神や鳥羽明神と記されています。

ハトリという地名は現在中田の一本杉と呼ばれ少しの空き地と何代目かの杉の木が残っています。

慶長十年(一六〇五)武田の家臣山本四郎左ヱ門が現在の境内に社殿を造営遷座したのもので、明治六年に村社、同四十年十月二十六日に共進指定をうけました。昭和五年二月二十八日には郷社へ昇格しました。

条理水田としての大木田面の基部にあった服部天神は、三河国の献上した「糸」に関係のあった神社と考えることができ、
水田の稲と養蚕の糸とに関わりをもつ伝統ある神社ということができます。

マツやシイ、ヒノキが茂る敷地の中央にあるのが、入母屋造瓦葺(かわらぶき)の拝殿。
それを中心とし、うしろに明神造銅板葺の本殿があり、南側に新しく改装した社務所があります。
拝殿脇と社務所の間に新品の灯籠があり、その奥に末社が並んでいます。

広場の南東隅には豊川市指定の天然記念物であり、推定樹齢200~300年の「ツガ」の木が見守り、
北部には服織神社の由緒を書いた石碑があります。

300年以上の歴史ある獅子頭

「奉造立羽鳥大明神 獅子一頭」との墨書のある獅子頭は鼻も大きく、口も奥深く開き、頭に一本の角を持ったものです。製作年代は宝永辛卯歳と書かれているので、不明の年は干支から宝永8年(1711)ということになります。作者は同国一ノ宮村、権田新右エ門となっています。塗師は勢州桑名の堀田久太夫とあるので遠く三重県に塗りに出したことになります。

かつては武将が寄進した刀、そして狛犬

2振の短刀が保存されています。2本の内1本は山本勘介の寄進(天文十年)によるもので宗貞と言われています。残念ながら盗難にあい、現在のものは新しいものです。また一対の狛犬が奉納されています。瓦質のもので、保存状態は良いものです。

昭和7年建立の石碑

拝殿の斜め北側に小さな塚があり、塚の上に大きな石碑があります。
篆額に「恭敬」と大きく書かれ、下の碑文には服織神社の由緒が書かれています。

内容は所在地、祭神にはじまり、国内神名帳の鳥羽大明神、養蚕と伊勢神宮とのかかわりを略述しております。昭和7年建立。

服織神社最古の手水鉢

1m弱のもので、正面に「浄水」とあり、側面に「天保二辛卯年五月吉日 施主、庄太夫、庄兵衛」とあります。天保2年(1831)のもので当社にある石造物では最古のものであります。

末社

服織神社の末社の移り変わりを見ると、人々の信仰の変化を読み取ることができます。江戸時代に足山田村の様子を書いた差出帳(現在の町要覧)が2冊保存されています。享保11年(1726)のものには羽鳥大明神以外の社を次のように記しています。

若宮八幡宮 年永薬師 石堂
村荒神 年永薬師 石堂
白山大権現 年永薬師 石堂
稲荷大明神 年永薬師 木少御座候
弁才天 年永薬師 木少御座候
年永薬師 石堂 木少御座候

若宮八幡宮は祭礼のための水田が20歩ばかりついています。他の社は各地に散在していて森や木があり、小さな社屋であったことがわかります。その中で田の神としての稲荷と山に関係のある白山大権現が崇敬されていました。また荒神は火の神であろうし、福の神として弁才天が祀られていたようです。薬師や弁才などの仏が神と同様に信仰されているのも時代をよく表しています。

現在、服織神社の末社として拝殿の南方に祭られているのは津鳥神社、護穀大妙神、護鍬社、若宮八幡社、稲荷正一位、稲荷大明神で約300年ほどの間に神仏の異動のあったことを知ることができます。

樹齢200年以上のご神木

豊川市の天然記念物になっているツガは樹高15mぐらいです。この木はマツ科の常緑針葉樹で、樹皮は灰色です。
途中には小枝がなく、根元から10m弱のところから大きく四方に枝を広げています。枝張りは10mほどあります。

樹齢は200~300年ぐらいと思われますが樹勢は旺盛です。
地元では永くイチイの木であると信じられており、イチイが一位に通じることから、服織神社の神木的な取り扱いをうけて大切にされています。

例大祭

祭礼は以前3月8日と決められていましたが、現在は3月の第4週の日曜に行われています。
祭礼時には氏子が裃を着用し祭りにご奉仕することになっています。

土曜の宵祭り、日曜の本祭りと行われ、日曜の本祭りは10時~12時まで官祭を行い12時から氏子入りを行います。(お祓いを行う)

13時より青年(錦連)の餅引きが開始され、台車に乗った投げ餅を引きながら神社に向かいます。15時からは大祭が始まり3匹の鬼にふんした青年(錦連)が境内、村を練り歩きます。

鬼は通称赤鬼、婆鬼、天狗と呼ばれ赤鬼が父、婆鬼が母、天狗が息子となっています。
鬼はそれぞれ(おんび)と呼ばれる色とりどりの短冊を束ねた棒を持ち、鬼からおんびをもらうとご利益があるとされています。その後氏子により神輿渡が行われ村内を練り歩きます。
17時になると号砲が鳴り餅投げ大会が開催されまつりのフィナーレになります。

◊境内の様子